掲載日:1997/06/11

武田観柳斎 暗殺
銭取橋でさくっ慶応3年6月22日

あれっ、高台寺から戻ってきたの?篠原さんも。

この事件も犯人は斎藤一説多数です。そこで一つ私には解らない大きな疑問があります。各資料を日付の上で照らし合わせてみると、(但し、資料により 一説には慶応2年9月に殺害されたともあるのですが、それ以降の記録に観柳斎の名が出てきているものが多いので、ここでは6月22日説をとりました)この事件は斎藤が御陵衛士として分離した後に発生しているようなのですが、なんで彼 観柳斎送別記念パーティーに出席しているんでしょうか。

そしてまた なんで歳さんは わざわざ隊士では無いはずの彼に命を下したのでしょうか。更に相棒として篠原泰之進の名も挙がっていますが、彼も御陵衛士のはず。(この二人 影の名コンビですね)さあ、その辺の謎は置いといてとりあえず通説(?)を。

武田観柳斎という人は、入隊当初は軍師として結構重きを置かれていた人だと思うんですが、戦の仕方自体が急激に近代化してしまうに連れて、どんどん隅っこに追いやられる というか時代に取り残され、隊の中でも必要とされなくなってしまった。

そしてそれを自ら感じつつ、いつしか薩摩と通じ始め、それが近藤・土方の耳に入り、二人は世にも恐ろしい送別会を開いてくれちゃったりします。

宴も酣、みんな酒が入って良い気分(?)そこで歳さんが「そろそろ良い時間だ、斎藤君、篠原君、武田君が薩摩屋敷にお入りになるので、送って差し上げるよう。」とかなんとかおっしゃる。観柳斎、酔いが覚めるほどびびる。「いや、お見送りなどは..... 」と必死で断る。しかしもう斎藤たちは席を立ち外へ出てしまっている。斎藤君ご指名の時点ですでに観柳斎の運命は決っている。(周りも皆 解ってるよきっと..... 哀れなり。)

一説によれば篠原は、武田とは親しかったので安心させるために選ばれたということですが、成る程、確かに斎藤だけが指名されたのではもう ばればれでしょうしねえ。あんなに恐い送り狼は、他にいないでしょうよ。

覚悟を決めて(?)外へ出る観柳斎。月は蒼い。どんな気持ちだったでしょう。二人に付き添われるように歩き始める。やがて竹田街道、銭取橋にさしかかる。斎藤、さくっと抜打ち。観柳斎絶命。ここでまた「いつも威張っていた割にあっけない。あっはっはっ。」と言って斎藤がカラカラと打ち笑っていたというお話もありましたが、あんたって人はもう.....。(いや これは創作だと私は思ってますがね。)

斎藤一の年表へ / 斎藤一のINDEXへ

a chronological table of hajime saito /